暴威-ボウイ-BOOWY 長戸大幸
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BOOWY 関係者 「長戸大幸」 
2017.06.27.Tue / 23:45 
BOOWY 関係者 「長戸大幸」

1948年 4月6日生まれ。滋賀県大津市出身。
滋賀県立膳所高校卒業、青山学院大学中退。
本名ながとひろゆき
父:長戸大門 母:長戸幸子
三兄弟で次男は医師、三男は音楽制作会社レイズイン(Rey's In代表)長戸秀介
氷室京介がデビューすることとなった音楽事務所「Bing」の創業者。
音楽制作会社(株)ビーイングは、1978年に東京都港区六本木に設立。

自らも作詞作曲編曲を手がけるが、多様なペンネームを持つ。
・奈月大門
・DANNY LONG
・AMEMURA INICHI
(渋谷陽一を関西風にもじった形でつけている。 渋谷⇔アメリカ村 陽一⇔陰一)
・WHITE“O”
・ROCKAKU (CHOKUKAKUをもじってつけている。)
・北口モリオ
・パインジュースの缶(井上陽水の「悲しき恋人」の作曲時)

滋賀県立膳所高等学校在学中、校内に音楽サークルを立ち上げ、WEEDSを結成。
当時のメンバーには後のカーナビーツの2代目ボーカル・ポール岡田(70年代後半からは
CMプロデューサー)、後にソニー洋楽ディレクターやフジパシフィック音楽出版役員を
歴任した森下影夫らがいた。バンドは京都の月世界、大阪のナンバ一番等で活動していた。

その後青山学院大学に合格し上京。
1969年5月に大学中退後、京都で5人組のロックバンドFeedBackを結成。
ジョン・メイオール&ブルースブレイカーズ京都公演の幕開けでドラマーとして出演。
出入りしていたいずみたく事務所の関係で、大学中退後「赤と黒」を結成。
1971年9月までにメンバーチェンジを経て3人組となったが、リーダー、
ボーカル、作詞&作曲担当の長戸大幸、ギター,ベース,ヴォーカルの公手成幸、
ヴォーカル担当の岡田たつみ。
1972年2月1日「赤と黒」はデビューシングル「Mr.D.J.」をテイチクのBLACKレーベル
よりリリースするが、バンドはあまり売れず活動停止。
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長戸大幸は、東京を離れ、副業として京都「BAL」にてブティックを経営。
1975年に再び上京し、吉田拓郎、井上陽水、泉谷しげる、小室等らで設立したばかりの
フォーライフレコードの第1回新人オーディションで入賞。同時期に原田真二が入賞を果たした。
その後、阿久悠に作曲家として認められて、オフィス・トゥワンに所属、作曲家・編曲家として
活動を開始。
1976年12月のシーチャン・ブラザーズにてデビューする。
また、フォーライフの1975年第一回新人オーディションに応募、川村ゆうこ、原田真二らと
最終の4人に残る。
1977年8月27日まで、新人ツアー「FORLIFE Fresh Forward FESTIVAL」に出演、
1977年8月25日には「軽い気持で」でソロデビューが予定されていたが、表方より裏方の方が
面白いと感じ、新人ツアーを途中降板する。レコードは見本盤迄作られていた。
また、マネージメントオフィスBIG MUSICを設立し、妹尾隆一郎のマネージャーを担当。
そして、舘ひろしとアメリカ・ナッシュビルへ渡り、「朝まで踊ろう」をレコーディング。
1978年9月5日スピニッヂ・パワーの「ポパイ・ザ・セーラーマン」を「Danny Long」名義で制作し、リリース。
40万枚販売のビッグヒットを記録。
1978年11月、六本木のマンション一室で「Being(ビーイング)」という音楽制作会社兼音楽出版社を設立。
会社名の由来は、「存在し続ける事」という意味と「B級でもいいから売れる音をつくろう」という所から来ている。

1980年代は、アイドルとして三原順子・太田貴子・倉田まり子、ヘヴィメタルとしてラウドネス・浜田麻里、ロックとしてBOOWY・トラブル(現The虎舞竜)、ジャズ・フュージョンとして秋本奈緒美を売り出す。
後に浜田麻里、TUBE等がブレイクし、Being黄金時代の基礎を作る。

1990年代は、アーティストのメディア露出を控えめにし、一方でタイアップを積極的に利用する手法で、B’z、ZARD、WANDS、DEEN、T-BOLAN、MANISH、ZYYG、REV、TWINZER、PAMELAH、FIELD OF VIEW、FEEL SO BAD、BAAD、B.B.クィーンズ、大黒摩季、小松未歩らが相次いでメガヒットを連発し、音楽シーンを引っ張った。

1993年は、シングルセールスの約半分をビーイングの作品が占めたほど。当時、ビーイング所属のアーティストは「ビーイング系アーティスト」と呼ばれていた。
耳病の悪化に伴い長戸大幸は引退したとされていました。
※このあたりはグレーゾーンです。

2000年代に入り、大阪のGIZA Studioから倉木麻衣、愛内里菜、GARNET CROW、WAG、上原あずみ、滴草由実らを輩出。

長戸大幸は、昔は通説であったレコード会社主導の音楽業界というものに制作会社が主体としてプロデュースをしていくという新しいシステムを構築した人物である。
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氷室狂介 VS 長戸大幸 
2007.01.07.Sun / 11:53 
氷室狂介 VS 長戸大幸

季節は冬に移ろうとしていた。
Beingの社長である長戸大幸にアポイントメントを取ったが、時間は30分間。
氷室狂介はテープを持ってビルのエレベータのボタンを数ヶ月ぶりに押した。

事務所のクリーム色の扉の向こうには、長戸大幸がいつもと同じように外国製のタバコを燻らせている。

長戸大幸氷室狂介から受け取り、再生のスイッチを押した。
1曲目は「NO!N.Y」。
社長の表情は変わらなかった。
しかし、爪先でリズムを取っていたが、次第に膝でリズムを取り出した。

何曲目にKOしたのかはわからなかったが、氷室狂介は勝ち取った。

そして、正式なレコーディングとLIVEが決定した。

で...
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氷室狂介 X 布袋寅泰 VS 長戸大幸 
2006.11.11.Sat / 15:20 
氷室狂介 X 布袋寅泰 VS 長戸大幸

布袋寅泰と会って話をした氷室狂介は、Beingの社長(長戸大幸)に「スピニッヂ・パワー」を止め、布袋寅泰とバンドをしていくことを伝えようと考えていいた。

そのため、布袋寅泰を連れ事務所へ向かう。

氷室狂介は話をしたが、社長の反応はいつもどおり冷たかった。
しかし氷室狂介は説得した。
社長は、音を聞いてからということで、とりあえず好きなようにやってみろという所までいった。

そこで二人は曲作りを始める。

で...
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BOOWY  【MORAL+3】 「OUT!!」  
2006.10.28.Sat / 23:53 
BOOWY  【MORAL+3】 「OUT!!」
作詞:氷室狂介 作曲:氷室狂介 

暴威初期時代のLIVEでは、良く演奏されていた曲で「REY'OUT」という曲名であった。
この曲は、暴威が所属していた音楽事務所Being総帥長戸大幸の実弟である長戸秀介がモデルとなっており、長戸秀介が設立した音楽制作事務所
REY'S INが基となっている。

REY'S IN ⇒ REY'OUT

長戸秀介
長戸家の三男、長男は長戸大幸
音楽制作会社REY'S IN代表
1979年音楽事務所Beingに所属していた織田哲郎、北島健二とユニット「WHY」を結成。
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1980年に自然消滅的にその活動を停止。
その後、Being内において「Rey's In Family」を立ち上げる。
1982年5月に音楽制作会社REY'S INを設立。
一色かおり、浜田麻里、AROUGE、KILLER MAY、TILT、小川美由紀、POCHI、BLOW、石岡美紀、MINAMIをプロデュース。

REY'S IN
http://www.rey-s-in.co.jp/index.html

Being
http://curvedge.blog70.fc2.com/blog-entry-78.html

あ~...
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BOOWY(暴威)結成以前 寺西修一(氷室狂介)「スピニッヂ・パワー」TV出演 
2006.09.18.Mon / 04:59 
寺西修一氷室狂介)「スピニッヂ・パワー」TV出演

1980年9月 TBS「11時に歌いましょう」
1980年 日本テレビ「歌のトップテン」

この模様はここから。



いずれもこの曲で出演。
「HOT SUMMER RAIN」
作詞:奈月大門(長戸大幸)作曲:野村哲也
この章を参照
http://curvedge.blog70.fc2.com/blog-entry-44.html

で...
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BOOWY(暴威)結成以前 氷室狂介「SPINACH POWER」加入 
2006.09.17.Sun / 15:14 
氷室狂介SPINACH POWER」参加

所属した音楽事務所「ビーイング」の社長長戸大幸により、解散を命じられた「デスペナルティ」は、バラバラにさせられた。

氷室狂介(京介)は、「スピニッヂ・パワー」への加入を命じられ、契約書にサインをしてしまう。その時に「ホットサマーレイン」という曲を受け取り、翌々日からスタジオに入ることとなった。

リーダーがいるきちんとしたバンドであったためか、音楽的なことの以前に目上目下、リーダーメンバー、そのような体制的なものが強かった。そのため、氷室狂介は自分のバンドっていう意識はなく、ただ、目標を達成させるための一つの過程に過ぎないと、これをやらなければいけないんだと自分に言い聞かせていた。

「スピニッジパワー」とは...
http://curvedge.blog70.fc2.com/blog-entry-1601.html

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BOOWY(暴威)結成以前 氷室狂介「デスペナルティ」Being契約 
2006.09.17.Sun / 02:39 
上京時、このコンテストの主催者であったヤマハからの誘いがあったのだが、デビューをエサに契約を迫るような彼らのやり方に不信を覚え、「デスペナルティ」は、これを蹴って、「Beingビーイング)」という音楽事務所と契約を結ぶこととした。
それは、他の事務所と違って、バンドでデビューさせるという話をしてくれたからであった。

Beingビーイング)」
株式会社ビーイングBeing Music Factory →BMFC
代表取締役:長戸大幸(ながとだいこう)
http://curvedge.blog70.fc2.com/blog-entry-1592.html
分社化が多く関連会社は40社以上。
http://beinggiza.com/index.html

まだあるある...

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