暴威-ボウイ-BOOWY BOOWY(暴威) 結成
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BOOWY(暴威) 結成 の記事一覧
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BOOWY(暴威)結成 暴威 北軽井沢 
2008.05.31.Sat / 22:39 
BOOWY暴威)結成 暴威 北軽井沢

BOOWYのメンバーは合宿のため、北軽井沢にきたが、
上野駅に集合し、電車に乗って横川駅で「峠の釜めし」の駅弁も買い、
北軽井沢駅へ、そこからバスで小1時間走った北軽ホリデーに1週間ぐらい泊まって行われた。

リハーサルは「MORAL」のナンバー等、当時の持ち曲は全部演り、それでも足りないため、SEX PISTOLSの「GOD SAVE THE QUEEN」「ANARKY IN THE U.K」も演った。

氷室狂介は、小さなヴォーカル・スピーカーのせいで、気合を入れすぎて歌ったせいで、初日から早々にノドを潰してしまった。
そのため、次の日からセッションには参加せず、釣りに行ってしまった。


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暴威 高橋まこと 加入 
2007.04.01.Sun / 23:38 
暴威 高橋まこと 加入

氷室狂介からの電話により暴威のリハーサルに参加した高橋まことは「IMAGE DOWN」を演奏することとなった。
ドラムのカウントで始めるのだが、高橋まことのカウントがかなり大きく、その声の大きさで松井恒松は笑って弾けなくなりそうだった。

ただ、この時点でBEATを叩きだしていた高橋まことの加入が決定する。
来月新宿LOFTでライブがあったため、他のメンバーとともに合宿にいくこととなった。

”全曲覚えてもらわなきゃいけないから合宿に行きましょう”

これで正式なドラマーを入れた暴威は、北軽井沢に向かった。
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暴威 氷室狂介 → 高橋まこと  
2007.03.18.Sun / 00:35 
暴威 氷室狂介 → 高橋まこと

新宿ロフトでの初のワンマンLIVEからひと月ほどたって、高橋まことのアパートに氷室狂介から連絡があった。

「この前ロフトで会ったBOOWYってバンドなんですけど、覚えてますか?」

BOOWYは江戸川橋の音羽スタジオでリハーサルをしている最中だった。
「今リハーサルやってるんですけど、よかったらのぞきにきませんか」

高橋まことはそのリハに行って「IMAGE DOWN」を叩いた。
が...

そうか...
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暴威 木村マモル 脱退 
2007.02.25.Sun / 00:12 
暴威 木村マモル 脱退

ようやく活動が軌道に乗り始めたその矢先に、プロデューサー志望であるドラマーの木村マモル(元スピニッヂ・パワー)がバンドを脱退したいと言い出した。
もともと、正式のドラマーが見つかるまでの代理という約束だったため、仕方のないことであった。
しかしファースト・アルバムのレコーディングで何曲か取り終えていた状態であったため、とにかく大至急代わりのドラマーを探さなければならないという、非常にせっぱつまった状態に立たされた。
そこで木村マモルはオーディションを行うことを提案する。
彼らは再びオーディションを行なったが、いいドラマーはなかなか見つからなかった。

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暴威 ワンマンLIVE 新宿ロフト 
2007.02.20.Tue / 00:31 
暴威 ワンマンLIVE 新宿ロフト

1981年5月11日に暴威新宿ロフトで初のワンマンLIVEを果たす。
これを機に暴威は月1回新宿ロフトのLIVEを行うこととなった。

そしてその時、高橋まことは、友人に連れられこのLIVEを見ていた。

http://curvedge.blog70.fc2.com/blog-entry-74.html

っと...
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暴威 LIVE 新宿ロフト 
2007.02.15.Thu / 00:39 
暴威 LIVE 新宿ロフト

loft.jpg

1981年の初頭、Beingの長戸大幸は、暴威のLIVEをブッキングするためにいくつかのLIVE HOUSEやレコード会社に依頼をしていた。
暴威は不良バンドであったため、レコード会社から相手にもされなかった。
そのため、新宿ロフトの創始者である平野悠に依頼をした。
長戸大幸曰く、「この凄い不良バンドをなんとかできるのはロフトさんしかない」。
こうして平野悠は暴威を引き受けることになった。

平野悠は、無名バンドである暴威を突然ワンマン・デビューさせる訳にいかなかったため、「一度だけロフトの新人デーに出演してほしい」と長戸大幸に言い、新人DAYに暴威の出演を組んだ。

だが、その日に一悶着が起こった。
当日はリハーサル時間が押していて、氷室狂介が当時の新宿ロフト店長である長沢幹夫(現下北ロフト社長であり、長沢ヒロの弟)に向かって「おっせーな、どうなっているんだ! くそ~」ってテーブルを叩いて怒鳴っていた。
長沢幹夫が「もうちょっと待って下さい」と言ったところ、長沢幹夫をロフトの店長とは知らず、「なんだてめいは・・・」と喧嘩寸前になってしまった。

その後、平野悠はBeing長戸大幸にクレームを出した。
「頼むよ、店長に喧嘩ふっかけるバンドなんか前代未聞だよ。これ以上やったら暴威の面倒は見ないからね」

すげぇ...
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暴威 初LIVE 原宿クロコダイル 
2007.02.13.Tue / 01:00 
暴威 初LIVE 原宿クロコダイル

暴威での初のLIVEは原宿クロコダイルであった。
対バン形式のLIVEでの出演であったため、何人かは客がいたが、別のバンドのファンであった。

暴威のファンは0人。
ここから暴威の戦いが始まる。

そうだっ...
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暴威 「MORAL」 レコーディング 
2007.02.12.Mon / 13:25 
暴威 「MORAL」 レコーディング

暴威の6人は「MORAL」のレコーディングを始めた。
Beingの指示により、サウンドプロデューサーは渡辺モリオ、サウンドエンジニアは小野誠彦であった。

http://curvedge.blog70.fc2.com/blog-entry-8.html

【月光恵亮】
マライアのベーシストだった渡辺モリオが当時パンクが好きだったので、サウンドプロデュースを任せて、エンジニアは当時ONKIO HAUSのアシスタントを辞めたばかりの小野誠彦
レコーディングは大変だった。例えばスタジオの中に入って〝こういうコード進行にしたほうがいいよ〟と言うと1時間ぐらい止まってしまう。ベースの分数コードすらもわかってない。だから、プロのミュージシャンである渡辺モリオをプロデューサーに置いたんです。
そうして出来上がった音をレコード会社に持っていっても、理解してもらえなくてリリースまでなかなか漕ぎ着けなかった。」

【氷室京介】
「ファーストの時はメンバーが6人いたんだけど、それもみんな群馬の友達。ほとんどアマチュアのノリだったよね(笑)。レコーディングのノウハウにしても、まして自分たちをプロデュースするだけの実力もまったくなかったから、渡辺モリオさんていう、当時マライアって結構凄腕でマニアックなバンドをやってた人がプロデューサーに立ってね。作品はほとんど一発録りで、たしか歌も全部一発で録ってるんじゃないかな。その頃ロッカーズがどこかのお寺を借りてそこで一発録りをしたとか、そういうことが流行ってた時期だったんで、一発で録ると何か計算で作られたものとは違うエネルギーがけっこう入りやすいんじゃないかと思って。」

布袋寅泰
「いやぁー、あれね。(笑) ファーストはね、まずレコーディングの方法自体が今とは全然違うやり方だったんだよね。
当時はメンバーが6人いたんだけど、“よーいスタート!”で一気に録るわけ。パートごとにっていうんじゃなかったんだ。
なにしろヒムロックの歌入れまで同時にやってたんだから。もちろんさ、ノリを重視するためにそういう方法を採用するレコーディングもあるんだけど、こっちはまだヒョッっと出のガキじゃない?まだなんにもわかんないのにさ(笑)。で、誰かがミスすると全員でそいつを“ジロッ!”って(笑)。俺もあの時はけっこうミス・タッチしてね、そうすると今度は俺が“すんません”なんて小さくなって(笑)」

小野誠彦
1958年8月9日、福島県生まれ。 別名:Seigen Ono
サウンドエンジニア兼プロデューサー兼GUITERIST、KEYBORDIST。
http://www.saidera.co.jp/

兵庫県立加古川西高校卒業後、音響ハウスに入社。
1980年迄ハウスエンジニアとして勤める。
1981年~1982年迄Beingグループのレコーディングスタジオ「BIRDMAN」で初代エンジニアを勤める。北島健二、亜蘭知子、MARIAHLOUDNESS等を手がける。
そして、清水靖晃らのグループ、MARIAHとの仕事を期に独立。
フリーのエンジニアとして、MARIAHを始めとして、坂本龍一、渡辺香津美、吉田美奈子、ムーンライダーズ等のレコーディング及びミックスを手掛ける。
1984年ビクターからソロアルバム「SEIGEN」を発表。
清水靖晃、笹路正徳らマライアの面々を始め、白井良明、中西俊博ら
彼と関係の深いミュージシャンたちとのコラボレーションによる作品。
ビクターのミュージックインテリアシリーズの第一弾として発表。
以後、橋本一子「ichiko」や佐久間正英「LISA」等のレコーディング
&ミキシングなどを努める。
この佐久間正英との出会いにより、共同で南青山に「v.f.vスタジオ」を設立。
1999年元マライアの笹路正徳プロデュースであるパフィ-のアルバムや
ヒートウエーブのアルバム等を手がける。
又、外国から来る有名アーティストを含め、レコーディングだけでなくライブPAもこなしている。
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小野誠彦 (1998/07/01)
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~...
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BOOWY バンド名 「暴威」 
2007.02.03.Sat / 14:48 
BOOWY バンド名 「暴威

暴威」というバンド名は、事務所から押し付けられた名前であった。
このバンド名は誰が見ても「DAVID BOWIE」のパロディとしか思わない。布袋寅泰はそう思っており、このバンド名が恥かしかった。

「DAVID BOWIE」の初来日時に山本寛斎によってデザインされた衣装にDAVID BOWIEの名前が書かれていたが、その名前が「出火吐暴威」だったのである。

IMG_6791.jpg


...と
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BOOWY バンド名 「群馬暴威」→「暴威」 
2007.01.19.Fri / 01:40 
BOOWY バンド名 「群馬暴威」→「暴威

その頃正式なバンド名がなかったため、バンド名を付けることとなった。
そこで、当時のプロデューサーが陽気に言った。
「いいねぇ。かっこいいねぇ。俺、バンド名思いついちゃったんだけどさ、『群馬暴威』ってのはどう?」

「横浜銀蝿」がチャートの常連だったこともあり、それに便乗しようという意図であった。

センスのかけらもないこのネーミングをプロデューサーは「暴れる馬が群がる威力だぜ!」とさも得意げに無意味な説得を繰り返すのであった。

この名前をメンバーは断固と反対し、特に布袋寅泰は猛反発した。

プロデューサーも逆切れし、結果妥協案として「群馬」は取られ「暴威」というバンド名になった。

ライブハウスにはこの恐ろしい名前でブッキングされていく。

どえっ...
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氷室狂介 VS 長戸大幸 
2007.01.07.Sun / 11:53 
氷室狂介 VS 長戸大幸

季節は冬に移ろうとしていた。
Beingの社長である長戸大幸にアポイントメントを取ったが、時間は30分間。
氷室狂介はテープを持ってビルのエレベータのボタンを数ヶ月ぶりに押した。

事務所のクリーム色の扉の向こうには、長戸大幸がいつもと同じように外国製のタバコを燻らせている。

長戸大幸氷室狂介から受け取り、再生のスイッチを押した。
1曲目は「NO!N.Y」。
社長の表情は変わらなかった。
しかし、爪先でリズムを取っていたが、次第に膝でリズムを取り出した。

何曲目にKOしたのかはわからなかったが、氷室狂介は勝ち取った。

そして、正式なレコーディングとLIVEが決定した。

で...
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BOOWY 「6人」 
2007.01.04.Thu / 18:42 
BOOWY 「6人」

二人はそれぞれ連絡を取り、バンド加入の話をする。

布袋寅泰 → 深沢和明
氷室狂介 → 菊池(諸星)アツシ

翌日、スタジオ・マグネットに6人は集まった。
この頃は、まだバンド名はなかったが、第一期のBOOWYのメンバーが揃った。

テープに録音されていたラフな曲は、練習を重ねるにつれバンドに形を変えていった。
そしてほとんどの曲に歌詞が乗るようになり、氷室狂介深沢和明が作っていた。

リハーサルを終え、ミーティングの時に氷室狂介がレコーディングを提案する。
それは...
Being社長 長戸大幸へのリターンマッチである。

氷室狂介は事情をメンバーに説明し、準備に取り掛かった。
レコーディングする曲は、ALBUM「MORAL」の曲と「REY'S OUT」「MARIONETTE」。
6人は、渋谷にあるヤマハスタジオに入った...。

おおっ~...
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+深沢和明 & 菊池(諸星)アツシ  
2007.01.02.Tue / 00:01 
深沢和明 & 菊池(諸星)アツシ

「考えてみるよ。」と言った布袋寅泰は、氷室狂介に電話をかけ直し、
SAXを入れる提案をする。
その人物は、布袋寅泰とジギーリギー時代に一緒にバンドを組んでいた「深沢和明」であった。
http://curvedge.blog70.fc2.com/blog-entry-52.html

また、氷室狂介からも提案があった。
サイドギターを入れる提案であった。その人物は、氷室狂介とスピニッヂ・パワーを組んでいた「菊池(諸星)アツシ」であった。
http://curvedge.blog70.fc2.com/blog-entry-45.html

ん...
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氷室狂介 TROUBLE 木村マモル 布袋寅泰 
2007.01.01.Mon / 01:39 
氷室狂介 TROUBLE 木村マモル 布袋寅泰

トラブル発生

木村マモルから氷室狂介へ話があったが、松井恒松も感じていたことであった。
バンドのスタイルが今までのロック・スタイルとはアレンジもギターワークも大きく違うということ。

木村マモルはプロデューサーの視点から氷室狂介の歌をメインに考えており、バンドの中のギターの役割は、早弾き、ブルースコードを主にしたリード、ギターのメロディとドラムのせめぎ合いと考えており、ギタリストのソロパートは重要であると思っていた。
そのため、曲によってはギターソロすらない布袋寅泰のスタイルは理解できず、すぐに受け入れられなかった。

それは、このバンドにおいてギターは布袋寅泰でよいのか。といったものであった。

氷室狂介の感性は、布袋寅泰のギターを求めていたため、「あれでいいんです。」と一言だけ木村マモルに話した。

一方、布袋寅泰からも表と裏のように、意見が出た。
ディスコ調のドラムをやってきた木村マモルのドラムのパワー不足を指摘した。

氷室狂介にそう伝えた布袋寅泰は「考えてみるよ。」と最後に言って電話を切った。

...
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氷室狂介 X 布袋寅泰 X 松井恒松 X 木村マモル 
2006.12.23.Sat / 09:52 
氷室狂介 X 布袋寅泰 X 松井恒松 X 木村マモル

1980年10月

木村マモルは、氷室狂介に渡されたテープを二日間でほぼコピーしていた。

木村マモルのカウントによってすべてが始まった。
世の中で「NO!N.Y」が初めてひとつのアンサンブルになった。
また、まだ歌詞は乗っていなかったが、「ELITE」「RATS」「ON MY BEAT」がバンドの音へと変わっていく。

で...
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氷室狂介 → 木村マモル  
2006.12.16.Sat / 15:49 
氷室狂介 → 木村マモル

スピニッジ・パワー」の解散を知った氷室狂介は、DRUMS木村マモルの家を訪ねた。

ドラムを叩きながら、ゆくゆくはプロデュースをやりたいといっていた木村マモルは、「スピニッジ・パワー」で知り合ったヴォーカリスト「氷室狂介」を自分のプロデュースワークのファースト・アーティストにしたいと相談してきた。

氷室狂介は、「スピニッジ・パワー」当時から、布袋寅泰との再会、そして今の状況を話し、木村マモルのプロデュースへの考えを理解した上で、ドラムをやってほしいと頼んだ。

木村マモルは、ドラマーとしてでなく、プロデュースの視点で加入するとの答えを氷室狂介は喜んでOKを出した。

メンバーには、あと1日待っていいドラマーが来なければ、木村マモルをみんなに紹介しようと考えていた。

とりあえず、氷室狂介はテープを1本部屋に残して、木村の家をあとにした。


で...
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氷室狂介 X 布袋寅泰 X 松井恒松 
2006.11.26.Sun / 00:56 
氷室狂介 X 布袋寅泰 X 松井恒松

AM2:00 肌寒くなって来た氷室狂介の部屋のTELが鳴った。
氷室狂介は電話を取る前、布袋寅泰にこう言った。
「セッションなら断るからな・・・・・・」

セッションの電話のようであったが、氷室狂介の笑い声が聞こえるとともに布袋寅泰が鼻歌で歌っていた「STARMAN」が止まる。

受話器の向こう側は、氷室狂介の幼なじみでもあり、デスペルティでBASSを担当していた松井恒松であった。
松井恒松氷室狂介と上京後、Beingに所属していたが、織田哲郎&9thIMAGEでBASSを担当し、某スポーツメーカーのCMに流れるシングル曲「SPARKING LOVE~胸につのる想い~」、アルバム「DAY and NIGHT」のリリース、コンサートツアー等、ミュージシャンとしては充実した活動をしていた。
詳細は下記参照。
http://curvedge.blog70.fc2.com/blog-entry-88.html

松井恒松は、これらの活動を捨ててでも氷室狂介、布袋寅泰とバンドをやりたいと申し出る。

これで氷室狂介、布袋寅泰松井恒松が加わることとなった。

...で
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氷室狂介 X 布袋寅泰 メンバー探し  
2006.11.25.Sat / 01:06 
氷室狂介 X 布袋寅泰 メンバー探し

1980年10月の半ばになった時、「MORAL」の中の「INTRODUCTION」と「ENDLESS」を省いた全曲と数曲ができあがっていた。

二人はバンドとして成りたたせるために、メンバーを探し始める。

布袋寅泰は考えたデザインを氷室狂介に見せた。
「φ(空集合)」
これをライブハウス、雑誌に載せオーディションを行う。

だが、たずねて来るものは、勘違いした奴らばっかりであった。
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氷室狂介 X 布袋寅泰 曲作り 
2006.11.21.Tue / 00:12 
氷室狂介 X 布袋寅泰 曲作り

氷室狂介の話を聞いたBeingの社長は、音を聞いてからということで、とりあえず好きなようにやってみろという反応であった。

そこで二人は曲作りを始める。

...ということで二人は粗末なカセットデッキを使って曲をとり始めた。
福生に住んでいた布袋寅泰は、目黒に住む氷室狂介の自宅に通い続け、そこで「IMAGE DOWN」「NEW YORK NEW YORK(NO.N.Y)」「GIVE IT TO ME」「MORAL」「GUERRILA」の原型が出来上がる...。


ん...
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氷室狂介 X 布袋寅泰 VS 長戸大幸 
2006.11.11.Sat / 15:20 
氷室狂介 X 布袋寅泰 VS 長戸大幸

布袋寅泰と会って話をした氷室狂介は、Beingの社長(長戸大幸)に「スピニッヂ・パワー」を止め、布袋寅泰とバンドをしていくことを伝えようと考えていいた。

そのため、布袋寅泰を連れ事務所へ向かう。

氷室狂介は話をしたが、社長の反応はいつもどおり冷たかった。
しかし氷室狂介は説得した。
社長は、音を聞いてからということで、とりあえず好きなようにやってみろという所までいった。

そこで二人は曲作りを始める。

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◆HIMURO 「We Are Down But Never Give Up!!」時に超えました。
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