氷室京介 JOHN LENNON『IMAGINE』 ぴあ MUSIC COMPLEX SCENE4 NO.100 | ||
2007.06.06.Wed / 00:02 | ||
氷室京介 JOHN LENNON『IMAGINE』 ぴあ MUSIC COMPLEX SCENE4 NO.100 ジョン・ウィンストン・オノ・レノン1940年10月9日イギリスのリヴァプール生まれ。 ザ・ビートルズの中心メンバー。MBE勲章受勲時の本名はJohn Winston Lennon MBE、オノ・ヨーコと結婚後John Winston Ono Lennonと改名。 ビートルズ時代には、ポール・マッカートニーと作曲タッグを組んで数多くの名曲を残す。 ビートルズ解散後はアーティストであるとともに、オノ・ヨーコとともに平和運動家としても活動。 1980年12月8日ニューヨーク市の自宅アパート「ダコタハウス」前において、狂信的なファンとされるマーク・チャップマンに殺害された。
1971年発表のソロ2作目。愛と平和のメッセージがたっぷり詰まったジョンの代表作である。自宅のスタジオで、わずか9日間という短い期間で録音された。 【氷室京介】 「最後まで反体制的なその考え方と、ロックを芸術にまで高めた実績は、これからも歴史のなかで語られていくんだとうね、きっと」 スポンサーサイト
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氷室京介 EURYTHMICS『BE YOURSELF TONIGHT』 ぴあ MUSIC COMPLEX SCENE4 NO.99 | ||
2007.06.04.Mon / 00:06 | ||
氷室京介 EURYTHMICS『BE YOURSELF TONIGHT』 ぴあ MUSIC COMPLEX SCENE4 NO.99 映画「1984年」の音楽を担当。 1985年に発表された本作品は、これまでのEURYTHMICSの路線を大幅に転換。アメリカのマーケットを意識した実験的なアルバムでもあった。 ELVIS COSTELLO、TOM PETTY&THE HEARTBREAKERSのMIKE CAMPBELL、STEVE WONDER、ARETHA FRANKLINと言った豪華絢爛なゲストが参加。
1985年に発表、スティービー・ワンダー、エルヴィス・コステロほか、多彩で豪華なゲスト陣が話題になる。 【氷室京介】 「エレクトロ・ポップの雰囲気をフィーチャーした彼女たちも良いけど、このアルバムの〝I WOULD I LIE TO YOU?(ヴィリーブ・ミー)〟みたいなユーリズ・ミックスも最高です。」 |
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氷室京介 THE STYLE COUNCIL『THE COST OF LOVING』 ぴあ MUSIC COMPLEX SCENE4 NO.98 | ||
2007.06.03.Sun / 00:10 | ||
氷室京介 THE STYLE COUNCIL『THE COST OF LOVING』 ぴあ MUSIC COMPLEX SCENE4 NO.98 ポール・ウェラーは、1977年にデビューしたイギリスのパンクバンド、ザ・ジャム(The Jam)のリーダーであったが、ソウル&ファンクへの興味へ傾倒していったため、バンドが絶頂にあった1982年に突如として解散。 1983年に元デキシーズ・ミッドナイト・ランナーズのミック・タルボットと共にスタイル・カウンシルを結成。 1983年にシングル「スピーク・ライク・ア・チャイルド(Speak Like A Child)」を発表。 スタイル・カウンシル(The Style Council)とは、スタイル評議会という意味。
ジャムで活躍していたポール・ウェラーが、ジャム解散後に結成。そのサウンドはラップ、ジャズ、R&B、ファンク、ソウルなどを取り入れたお洒落なもの。1986年のサード・アルバム。 【氷室京介】 「ロンドンでしばらく暮らしていたころ、リリースされた思い出の1枚」 |
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氷室京介 ADAM AND THE ANTS『KINGS OF THE WILD FRONTIER』 ぴあ MUSIC COMPLEX SCENE4 NO.97 | ||
2007.05.30.Wed / 00:14 | ||
氷室京介 ADAM AND THE ANTS『KINGS OF THE WILD FRONTIER』 ぴあ MUSIC COMPLEX SCENE4 NO.97 アダム・アントが1954年に生まれる。 1977年に結成され、1978年にデビュー。 1979年にデビューアルバム「Dirk Wears White Sox」を発表。 ツインドラムでアメリカインディアンのようなビートを刻みマルコ・ピローニがドラマティックなギターを演奏し、アダムが官能的な声で歌い舞う。 1982年に解散するが、アダムがソロデビュー。 1985年までは高い人気を誇る。
海賊ルックでニューロマンティック・ムーブメントのスターだったアダム・アントの2nd。 【氷室京介】 「最近はロックからファッションが生まれるほど音楽自体にパワーがなくなっちゃったけれど、このころはまだ音楽からファッションが生まれる可能性があったよネ」 |
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氷室京介 VISAGE『VISAGE』 ぴあ MUSIC COMPLEX SCENE4 NO.96 | ||
2007.05.29.Tue / 00:00 | ||
氷室京介 VISAGE『VISAGE』 ぴあ MUSIC COMPLEX SCENE4 NO.96 ヴィサージのフロント・マンであるスティーヴ・ストレンジ(本名:スティーヴ・ハリントン)は1959年5月28日、ウェールズで生まれる。 高校卒業後、友人のビリー・アイドルに誘われてロンドンに移る。 ロンドンではビリー・アイドルと共に、セックス・ピストルズやスージー・アンド・ザ・バンシーズの周辺に出入りしながら、それらのバンドのポスターのアート・ワークなどを手がける。 1978年頃にストレンジはクラブで知り合ったクリッシー・ハインドの協力を得て、ムーアズ・マーダーズというバンドを結成。 次にフォトンズというバンドを結成するが短命に終わる。 リッチ・キッズに在籍していたラスティー・イーガンと組み、クラブでテクノを使った実験的な音楽を始める。 ここに集まった若者たちがニュー・ロマンティックスの基礎を作りだしていた。 リッチ・キッズに在籍していたミッジ・ユーロとともに、レコーディングを始める。ミュッジ・ユーロが著名なニューウェーブバンドのメンバーをサポートに呼び活動を始めるが、このプロジェクトこそが、ヴィサージであった。
1981年発表の1st。 【氷室京介】 「ニューロマンティックスっていうムーブメント自体すごく好きだったんだ。〝FADE TO GRAY〟を聴くと、なぜか真っ白な雪の林道っていう情景がイメージとして浮かんでくる。ヴィサージに関してロマンチックな思い出がたくさんあるんだけど・・・。教えないよ・・・もったいなくて(笑)」 |
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氷室京介 NINA HAGEN『NINA HAGEN BAND』 ぴあ MUSIC COMPLEX SCENE4 NO.95 | ||
2007.05.28.Mon / 00:21 | ||
氷室京介 NINA HAGEN『NINA HAGEN BAND』 ぴあ MUSIC COMPLEX SCENE4 NO.95
ニナ・ハーゲン・バンドの1作目。1978年リリース。 【氷室京介】 「アメリカでもブリティッシュでもなく、頭のてっぺんからつま先までジャーマンだわよ。悪い?って感じのアルバム。なんだか地方のセンスの良いアマチュア・バンドを見ているようで、今聴いてもインパクトはかなりのもの」 |
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氷室京介 NINA HARGEN『NINA HARGEN』 ぴあ MUSIC COMPLEX SCENE4 NO.94 | ||
2007.05.27.Sun / 07:20 | ||
氷室京介 NINA HARGEN『NINA HARGEN』 ぴあ MUSIC COMPLEX SCENE4 NO.94 1955年東ベルリンで生まれる。父は劇作家、母は反体制派詩人。 1970年オペラで主演。その後ポーランドでロックバンド結成。当時のレパートリーはティナ・ターナーやジャニス。 1976年西ドイツへ亡命後、ロンドンへ。セックス・ピストルズやスリッツの影響を受ける。 1978年ファースト・アルバム「NINA HAGEN BAND」リリース。 1980年セカンド・アルバム「UNBEHARGEN」リリース。 1981年長男コスマ・シヴァ出産。父親と結婚はしていない。 次男の父とも結婚せず、別の男性と結婚。現在は離婚している。 1982年インドの影響を受けたサード・アルバム「NUNSEXMONKROCK」“リリース。
東ベルリン生まれの女性シンガー。オペラ活動をしていただけあって、ドイツ語の独特のノリを生かしたドラマチックなボーカルとエキセントリックなムードが売り。1989年リリースのアルバム。 【氷室京介】 「プリミティブな彼女のボーカルが、時代性とバランス良く共鳴しているって感じ」 |
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氷室京介 DEVO『Q: ARE WE NOT MEN? A: WE ARE DEVO!』 ぴあ MUSIC COMPLEX SCENE4 NO.93 | ||
2007.05.26.Sat / 00:05 | ||
氷室京介 DEVO『Q: ARE WE NOT MEN? A: WE ARE DEVO!』 ぴあ MUSIC COMPLEX SCENE4 NO.93 1974年結成した米国オハイオ州アクロン出身の元祖テクノ・ポップ、ニューウェーヴバンド。DevoとはDe-Evolutionの略。 近年では、2003年サマーソニックで23年ぶりの来日を果たす。
オハイオ州アクロン出身。テクノ・ポップ風のサウンド。ユニークなビジュアルも話題。 【氷室京介】 「とにかくセンス!!時代を超えてるよネ。現在でも、もしこんなバンド目の前に現れたら、スゲーッ参りました!って謝っちゃうよ」 |
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氷室京介 TRANSVISION VAMP『VELVETEEN』 ぴあ MUSIC COMPLEX SCENE4 NO.92 | ||
2007.05.25.Fri / 01:24 | ||
氷室京介 TRANSVISION VAMP『VELVETEEN』 ぴあ MUSIC COMPLEX SCENE4 NO.92
セクシーでコケティッシュなウェンディ・Jをフロントに据えたバンド。グリッターなロックン・ロールを聴かせる。 1989年のセカンド・アルバム。 【氷室京介】 「ノイズ・パンクを感じさせるヘタウマ・ギターと、ちょっと軽薄な声との不思議な調和が魅力」 |
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氷室京介 SINEAD O'CONNOR『I DO NOTE WANT WHAT I HAVEN'T GOT』 ぴあ MUSIC COMPLEX SCENE4 NO.91 | ||
2007.05.24.Thu / 02:19 | ||
氷室京介 SINEAD O'CONNOR『I DO NOTE WANT WHAT I HAVEN'T GOT』 ぴあ MUSIC COMPLEX SCENE4 NO.91 アイルランドダブリン生まれのミュージシャン。 母親の事故死の後、ロンドンに移り音楽活動を行い、1982年、14歳でIn Tua Nuaというバンドを組んでデビューを果たす。 ソロとしては、1987年にデビュー。
アイルランド出身の女性シンガー、シンニード・オコナーの年リリースされたセカンド・アルバム。英米で大ヒットしたプリンスのペンによる「愛の哀しみ」など、正謐でスピリチュアルな作品。 【氷室京介】 「彼女がアーティストとして、すべてふっきったなって気がして、この作品は二重マルです」 |
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氷室京介 STING『NOTHING LIKE THE SUN』 ぴあ MUSIC COMPLEX SCENE4 NO.90 | ||
2007.05.22.Tue / 00:36 | ||
氷室京介 STING『NOTHING LIKE THE SUN』 ぴあ MUSIC COMPLEX SCENE4 NO.90 本名ゴードン・マシュー・トーマス・サムナー 。 イギリスのニューカッスル・アポン・タイン出身のミュージシャンである。ミュージシャンになる前は、ニューカッスル北部にあるセント・ポール小学校の国語教師をしていた。 1977年にポリスを結成。 1978年にA&Mより「ロクサーヌ」でデビュー。 ベーシスト兼ボーカルとして活躍した。 1984年ポリス活動休止。 現在はソロで活動。
1987年発表のソロ第3弾。エリック・クラプトン、ギル・エヴァンズら多彩なゲストが参加。 【氷室京介】 「当の本人は、どうやらこのアルバムが気に入ってないみたいだけど、どうしてどうして良いアルバムです。ちなみにMIXにあたったヒュー・パージャムは、俺の大好きなエンジニアのひとりです」 |
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氷室京介 U2『WAR』 ぴあ MUSIC COMPLEX SCENE4 NO | ||
2007.05.21.Mon / 01:00 | ||
氷室京介 U2『WAR』 ぴあ MUSIC COMPLEX SCENE4 NO.89 1976年夏にダブリンにあるマウント・テンプル・スクールに通っていたラリー・ミューレンが学校の掲示板に出したメンバー募集をきっかけに、ボノ・ヴォックス(本名ポール・ヘウソン)、エッジ(本名:デイヴ・エヴァンス)、アダム・クレイトン、それにエッジの兄弟・ディックの5人が集まり、彼らはバンドを始める。 しかし、二度目のギグでディックは脱退し、4人で活動することとなる。 ギグ前はフィードバックと名乗っていた。後にハイプというバンド名で活動を行う。 1978年3月ハーブ・ラガー・タレント・コンテストに参加し、優勝。ここからU2というバンド名となる。 アイルランドCBS・レコードと契約し、アイルランド国内でデビュー。
U2の'83年発表の第3弾。「ニュー・イヤーズ・デイ」「ブラッディ・サンデー」を収録。彼らの世界的飛躍へのきっかけとなった作品。 【氷室京介】 「ポリティカルなメッセージとメロディ、ギターサウンド、どれをとってもロック・グループとしての理想的なアイデンティティを持ったバンドって気がする」 |
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氷室京介 BRUCE SPRINGSTEEN『THE RIVER』 ぴあ MUSIC COMPLEX SCENE4 NO.88 | ||
2007.05.20.Sun / 00:52 | ||
氷室京介 BRUCE SPRINGSTEEN『THE RIVER』 ぴあ MUSIC COMPLEX SCENE4 NO.88 1949年9月23日オランダ系とアイルランド系の混血の父とイタリア系アメリカ人の母との間に生まれる。アメリカ合衆国ニュージャージー州フリーホールド出身。 10代半ばから、地元ニュージャージーで数々のアマチュア・バンドに参加。 1969年スティール・ミル結成。1971年に解散。 その後、リズム・アンド・ブルースの要素を取り入れたブルース・スプリングスティーン・バンドを結成。しかし、短期間で解散。 1972年に若手音楽ビジネス家のマイク・アペルと出会い、才能を見込まれてマネージメント、レコード・プロデュース及び音楽出版契約を結ぶ。その後、大手レコード会社CBSの伝説的A&Rマン、ジョン・ハモンドのオーディションを受け、結果1973年1月に『アズベリーパークからの挨拶』でデビュー。
アメリカを代表するロックン・ローラーの1980年発表の2枚組。ヒット曲「ハングリー・ハート」など全20曲。疾走感あふれるパワフルなロックが聴ける。 【氷室京介】 「アメリカのアーティストのくせに、生きざまを感じさせる、存在感ってとこで大好きなアーティストのひとり」 |
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氷室京介 CHEEP TRICK『DREAM POLICE』 ぴあ MUSIC COMPLEX SCENE4 NO.8 | ||
2007.05.19.Sat / 00:30 | ||
氷室京介 CHEEP TRICK『DREAM POLICE』 ぴあ MUSIC COMPLEX SCENE4 NO.87 1968年リック・ニールセンをリーダーにトム・ピーターソンも加え結成される。その時のバンド名はグリーム・リッパーズ。後にバンド名をFUSEと変え1973年まで活動。 その後、リックとトムはバンド結成と脱退を繰り返しすうちに、ロビン・ザンダー、バーニー・カルロスと知り合う。 1974年に現在のメンバーにてチープ・トリックを結成。 1976年エアロスミス、アリス・クーパー、スターズなどのプロデュースで数々の成功を収めていた名プロデューサーのジャック・ダグラスに見い出され、エピック・レコードと契約。 1977年に、ファースト・アルバム「チープ・トリック」でデビュー。
日本公演のライブ盤「at武道館」で、アメリカでの人気に火がついたチープ・トリックの1979年のアルバム。タイトル曲や「ヴォイシズ」など、ノリの良いハード・ポップが楽しめる。 【氷室京介】 「POPシーンを意識したロック・グループの成功例としてやっぱり忘れられないバンドだよね」 |
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氷室京介 CHARIE SEXTON『PICTURES FOR PLEASURE』 ぴあ MUSIC COMPLEX SCENE4 NO.86 | ||
2007.05.18.Fri / 00:19 | ||
氷室京介 CHARIE SEXTON『PICTURES FOR PLEASURE』 ぴあ MUSIC COMPLEX SCENE4 NO.86
17歳でデビューしたテキサス出身のロック・ギタリスト。昨年はゲストとして氷室率いるSP≒EEDにも参加。 【氷室京介】 「彼がデビューしたときのショックは大きかったな。実力はもちろんのこと、ロック・スターに不可欠な華やかさも持ってるし、〝生まれながらの〟ってやつだネ」 |
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氷室京介 BILLY IDOL『REBEL YELL』 ぴあ MUSIC COMPLEX SCENE4 NO.85 | ||
2007.05.17.Thu / 00:18 | ||
氷室京介 BILLY IDOL『REBEL YELL』 ぴあ MUSIC COMPLEX SCENE4 NO.85 1955年11月30日生まれ、1976年ジェネレーションXを結成。 1978年にアルバム「GENERATION X」でデビュー。イギリスで成功を収めただけじゃなく来日コンサートも行うが1981年に解散。 1982年、渡米し、アルバム「BILLY IDOL」でソロデビュー。 1991年の『ドアーズ』、1998年の『ウェディング・シンガー』等、映画にも出演。
タイトル曲の大ヒットで、ビリー・アイドルをメジャー・シーンに押し上げた1984年の作品。ワイルドなボーカルとともに、S・スティーヴンスのギター・プレイがいい。 【氷室京介】 「ほとんど盲目的に大好きなアーティスト。まだ、スティーヴンスがいたころの作品のなかでもこれが1番好き」 |
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氷室京介 BRIAN SETZER『THE KNIFE FEELS LIKE 』 ぴあ MUSIC COMPLEX SCENE4 NO.84 | ||
2007.05.16.Wed / 00:49 | ||
氷室京介 BRIAN SETZER『THE KNIFE FEELS LIKE 』 ぴあ MUSIC COMPLEX SCENE4 NO.84
ソロ・アーティストとして、1986年に発表した第1作目。 【氷室京介】 「ストレイ・キャッツ解散後に、何枚かリリースされた彼のアルバムのなかでもロック寄りのポップ・ミュージックを追及するっていう姿勢がスゴク伝わってくるアルバムでコレが好きです」 |
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氷室京介 STRAY CATS『RUNAWAY BOY』 ぴあ MUSIC COMPLEX SCENE4 NO.83 | ||
2007.05.15.Tue / 01:01 | ||
氷室京介 STRAY CATS『RUNAWAY BOY』 ぴあ MUSIC COMPLEX SCENE4 NO.83
ニューヨーク出身ながら、結成と同時にロンドンへ渡り、人気を博したモダン・ロカビリーの3人組。デイヴ・エドモンズがプロデュースを手がけた、81年発表のデビュー・アルバム。 【氷室京介】 「時代の流れをまったく無視した彼らの登場の仕方に、ワクワクドキドキものでした」 |
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氷室京介 SIDO VICIOUS『SIDO SINGS』 ぴあ MUSIC COMPLEX SCENE4 NO.82 | ||
2007.05.14.Mon / 00:01 | ||
氷室京介 SID VICIOUS『SID SINGS』 ぴあ MUSIC COMPLEX SCENE4 NO.82 本名はJohn Simon Ritchie,でイギリス、ロンドンにて1957年5月10日に生まれる。 パンクロッカーであり、極度の麻薬中毒者。 セックス・ピストルズの2代目ベーシストであるが、加入当時は全くベースが弾けなかったが、その後もまともに弾けるようになったかは疑わしい。 1979年2月2日夜、薬物の過剰摂取により死亡。享年21。 没後に発売された唯一のソロアルバムである「SID SINGS」。 内容は、シドが敬愛するロックンロールの先人達のカバーで、オリジナル曲は無い。また、様々なライブ音源の寄せ集めで、シドはベースを弾かず,ヴォーカルのみを担当。 バックは、元ニューヨークドールズのドラマー、ジェリーノーランを中心としたアイドルズとダムドのラットスキャビーズ、グレンマットロック(初代セックス・ピストルズのベーシスト)等のビシャスホワイトキッズ。ジョニーサンダースの参加の真偽は不明。
センセーショナルな最期をとげたセックス・ピストルズのベーシスト、シド・ヴィシャスの作品。ジョニー・サンダースが参加。 【氷室京介】 「ロック・スターは、自分の人生を完結させるところまで演出してこそ、パーフェクトだよネ。そういう意味では、彼は間違いなく本物だと思います」 |
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氷室京介 SCENE4 JAMES DEAN3 |
2007.05.13.Sun / 01:05 |
氷室京介 SCENE4 JAMES DEAN3 音楽は精神の依りどころ モノを増やす道具ではない 音楽を通して自分はどうすべきなのか?自分はどうあるべきなのか?を追求するのは、もとをただせば、もうBOOWYの後期から最大のテーマだったように思う。今回、その答えの糸口がつかめたような気がする。 だから「Higher Self」はコンセプトも何もないし、オーラが出る、出ないなんて感じる人にしか感じないしってところで煮詰まって、今もレコードとして完成させられてなかったら、今のオレの心境には到らなかったじゃないかな?レコーディングというアクションを起こさないと見えてこない世界っていうのはあるんだよ。 結局、BOOWYでいわゆる成功と言われる成功を収めて、欲しかったクルマだとか何だとか手に入ったとき、自分が本当に求めてたモノって何だろう?って考えた。そしたらそれは物理的なモノじゃなかったんだ。そりゃ10年前のオレが今のオレを見たら何ゼータク言ってんだバカ野郎!偉そーにって思うんじゃないかな。だけど、音楽を始めたその衝動自体、物理的なモノを求めて始めたのがすべてではなくて、精神的な自分の依りどころとなる糧というか、そういうモノを求めてオレは音楽を始めたんだなってことをすごく感じるよ。物理的な要求が満たされたとき音楽は物をふやす道具ではないことを再認識したんだよ。 この特集でチョイスした4人は、まぁ、ジェームス・ディーンは俳優だから当たり前だけど、ほかの3人はソロだよね。そこに今のオレとリンクする部分は確かにあるにしても、それだけではない。昔からフェイバリッツを挙げなさいと言われても選べない人なんだよね。選んだ4人がみんなソロだからバンドは嫌いなのか?と聞かれたらそうじゃないしさ。でも、多面体の氷室京介の一部はちゃんと語れたと思ってるよ。 |
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